つなぐ人びと

飛騨牛に寄り添い 牛飼いを育てる

  • 岐阜県 高山市(JAひだ管内)
  • 2024年5月

田中里佳さん

飛騨牛に寄り添い
牛飼いを育てる

自分は生産者にならないと決心して“飛騨の地”に戻り
担い手を育成する道を歩む女性がいます。

カテゴリ

 岐阜県立飛騨高山高等学校に勤務する田中里佳さん(23)は、昨年四月に教員になったばかり。現在は動物科学科の教員として、飛騨牛の授業や牛舎での実習をしています。
 同校の卒業生でもある里佳さんは、在学中の高校三年生のとき(2019年)に「和牛甲子園」の総合評価部門で最優秀賞に輝くなど、当時から故郷の飛騨牛の育成に興味を持ってきました。担い手の育成を「先生」としてめざす志を、彼女は次のように話します。
「わたしは生まれ育った飛騨がすごく好き。だから生徒に、一度は飛騨を離れても『いつか帰ってきたい』と思ってもらえるような授業をしたい。飛騨だからこそできる教育を、地域と連携してつくっていくことが大きな目標です」

 里佳さんにとって、飛騨牛は幼い頃から身近な存在でした。伯父が四百頭ほどの牛を繁殖・肥育しており、牛舎は子ども時代の「遊び場」でした。そのなかで産業動物としての牛に興味を持ち、農業高校への進学を選びました。
 伯父の牛舎で働き、自らが「担い手」になる将来を「なんとなく思い描いていた」という里佳さん。転機となったのは高校二年生のとき、岐阜県の「農業高校生海外実習派遣事業」のメンバーに選ばれ、ブラジル、オランダ、スイスで海外の農業生産の現場を見たときのことです。
「『農業を支える仕事をしたい』という人が多くいたのです。生産者になる選択肢以外にも、農業指導員や研究者といった道もある。それから、『生産者を増やす仕事』に興味を持つようになったんです」

 もう一つ、里佳さんには胸に焼き付いている思い出があります。それは海外実習の前、将来の目標を伯父に聞かれたときのことです。
「卒業したらここで働いて、もっと牛舎を掃除してきれいにしたいな」
 そう話すと、伯父はこう里佳さんを諭したそうです。
「うちの牛舎に来るなら、もっと『なにをしたいか』という目標を持たないといけない。ただ牛舎で働きたいだけなら、他を当たってくれ」
 この言葉をきっかけに、里佳さんは自分の将来を真剣に考え始めました。
「伯父の言葉がなければ、自分は教員にはなっていなかったと思います」
 海外実習の後、里佳さんは所属していた演劇部を辞め、動物研究部に転部。本格的に牛について学びたい。そんな思いが胸に生じたのです。授業でも自分で学習プリントを作るなど、農業に向き合う姿勢が変わった時期でした。
「海外の農業の現場を見て、学校や伯父の牛舎の見え方も変わりました。日本の畜産の現状や経営的な課題にも、関心が広がりました」

価値を伝え地域に誇りを持てる指導

 そんななか、高校三年生のときに出場したのが「和牛甲子園」でした。テーマは雌牛の肥育の研究。「飛騨牛の新時代は私たちが築く」と題した発表は高く評価され、最優秀賞を受賞しました。
「肥育のおもしろさは、牛の状態をきちんと見て、餌の管理をていねいにする姿勢が、お肉になったときの評価に跳ね返ってくることなんです」
 里佳さんは高校卒業後、北海道の酪農学園大学に進学。教員免許を取得することで、その「おもしろさ」の伝え手になろうと考えたのです。

 いま、母校で教員を務める里佳さんはこう語ります。
「飛騨牛はまだ歴史の浅いブランドですが、継がれていくべきブランドだと思っています。自分が生産者にならなかったからこそ、その生産者を育成し、飛騨牛に携わる人を増やしたい。せっかく、飛騨の農業高校で学んでいます。生産者の道を選ばなくても、飛騨牛の生産現場を知る消費者になってもらいたいです」
 教員として母校に帰ってきて一年が過ぎ、里佳さんの中で深まっている思いです。学校だけではなく、「飛騨地域そのものが、みんなの居場所」になるような教育を、故郷でどう培っていくか。
 里佳さんはそう語ると、少し照れくさそうに笑いました。
「一年めの“新米”なのに、ちょっと生意気ですかね?」

文=稲泉 連 写真=前田博史

本サイトについて

本サイトは、全国47都道府県のJAやJA女性組織の活動をご紹介する「ふれあいJA広場」のWEB限定記事と、月刊誌『家の光』に掲載している「ローカルホッとナビ」の過去記事が閲覧できるサイトです。
皆さまのこれからの活動の参考にぜひご活用ください。

2024年3月までの「ふれあいJA広場」記事は、旧ふれあいJA広場をご覧ください。