つなぐ人びと

明日は晴れるから この地で耕し続ける

  • 福岡県 久留米市(JAにじ管内)
  • 2024年6月

田中圭介さん

明日は晴れるから
この地で耕し続ける

地域を襲う自然災害。コロナ禍での青年部活動。
困難な状況にも負けずに仲間、家族と奮闘する人がいます。

カテゴリ

 フルーツや植木の栽培が盛んな福岡県南部の久留米市田主丸町。日本三大暴れ川として知られる「筑紫次郎」こと筑後川の左岸に、田中圭介さん(41)の圃場は広がっています。
「この地域は毎年水害があるんです。うちの田んぼは十年間で十二回も水没しました」
 と、圭介さん。目の前に広がる田園風景からは想像もつきませんが、大雨で筑後川の水門が閉まると支流の川は行き場を失い、この地はみるみるうちに水没していくと言います。圭介さんの家は、水門が閉まると、わずか十五分で外へ出られなくなるそう。
「正直、ハザードマップはめちゃくちゃリアルです。そのとおりに水没していきますから。これを把握して農業経営をすること、共済の備えもだいじですね」

 地域の農家は、農地の分散や作物の転換、植えつけを減らすなどの対策をしていますが、個人の努力だけで解決できない地域課題に取り組むのがJA青年部です。圭介さんは、令和二年度に全国農協青年組織協議会(JA全青協)会長を務めました。
「夢を語り合える仲間が、青年部です。水害対策として打てる手は少ないのですが、土砂の撤去や災害ごみの運搬をして、一日も早い復旧を願って支援しています」
 圭介さんが会長に就任したのは、日本国内に初の緊急事態宣言が発出されたコロナ禍の真っただ中。それでも、ここで活動をストップしたらダメだと動き続けた圭介さん。
「飲食店が閉まると、行き場のない野菜が出てきます。葬祭がなくなれば、切り花の需要が一気に減ります。ぼくらは種をまき、農産物を作っているのだから、この現状を伝えなくちゃいけない。この時期は議員会館に来る人も少なかったので、現場感をしっかり代弁させてもらいました」

バトンを受けまた次の世代に渡していく

 とはいえ、緊急事態なのに、なぜ青年部活動をやるんだとの批判もありました。度重なる上京に、厳しい目が向けられたことも。そんな圭介さんを黙って支えたのが妻の有香さん(41)。出会いは大学時代にさかのぼります。
「あんまり言うと、『そんなんじゃない!』って怒られるけど、その学部でいちばんかわいかったんです(笑)」
 有香さんは非農家出身。動いているコンバインを見るのも初めてと言うほど、農業とは無縁でした。苦労をかけたと圭介さんは頭をかきます。
「それでも、今日は何人コロナが出たとか、そんな報道ばかりの緊急事態宣言下でも、田んぼで農作業をやるとめっちゃ気持ちいいし、三人の子どもはのびのびと泥だらけになっている……」
 圭介さんは満面の笑み。
「もちろん野菜が売れてお金が入ってこないと生活はできないけど、そんな家族の姿を見ているとほっこりして、世の中パニックなのに、こんなに豊かさを感じていると、ちょっと感動しました。こういうのは、農家の特権じゃないかと思うんです」
 それだけに、愛するふるさとの風景がいきなり失われる自然災害には、ジッとしていられません。昨年十一月、その四か月前の豪雨で甚大な被害に遭った地域を励まそうと、JAにじ田主丸地区青年部で伝統行事「虫追い祭り」を特別に開催しました。

「本来は三年に一度催されるもの。今回は急だったので、装束もそろえられませんでしたが、これをやると喜ぶ人がいることをわかってほしいんですよね。地域の若い世代が『だいじょうぶ、みんな元気だよ!』と見せてあげることで、心が動かされる。泣いている人もいたと聞きました」
 圭介さんの表情が、いちだんと引き締まります。
「伝統的な行事は準備がたいへんだし、労力もお金もかかります。農協の職員もずっと付いていなくちゃいけない。でも、親父たちはそうやってバトンをつないできたし、自分らもそのバトンを受け取って、また次の世代に渡していく。先輩たちが脈々とつなげてきたことは、地域にエネルギーを注ぐものなんです」
 近年は、そうした青年部活動も岐路に立たされています。圭介さんの父親の時代には、百人以上を数えた田主丸地区青年部も現在は三十四人。けれども、一人ではできないことをみんなの力を合わせてやること、先人たちのアクションの積み重ねで今があることをかみしめながら、圭介さんは今日も耕し続けます。

文=柿野明子 写真=繁延あづさ 写真提供=JAにじ

本サイトについて

本サイトは、全国47都道府県のJAやJA女性組織の活動をご紹介する「ふれあいJA広場」のWEB限定記事と、月刊誌『家の光』に掲載している「ローカルホッとナビ」の過去記事が閲覧できるサイトです。
皆さまのこれからの活動の参考にぜひご活用ください。

2024年3月までの「ふれあいJA広場」記事は、旧ふれあいJA広場をご覧ください。