JAリーダーインタビュー
愛知県JA愛知東 代表理事組合長 海野文貴さん
- 愛知県 JA愛知東
- 2024年9月
いまも組合員と四十年前の思い出話を
歴史ある養蚕農家の後継者として育った。高齢化が進む中山間地域で頑固に、果敢に人々の暮らしの安息を追い求めている。
父だけは養蚕をやめようとしなかった
─新城市の生家をご案内いただきました。海野家は、代々の養蚕農家なのですね。
昔は貴重な現金収入だったので、どこの農家でもカイコを飼っていましたが、養蚕業の衰退とともに次々とやめていきました。けれど、親父だけは頑固に続けました。続けた、というより、続けさせてもらったと言ったほうがいいでしょう。
繭から紡いだ絹糸は、JAを通じて伊勢神宮や明治神宮など四つの神社に奉献されます。「赤引糸」として奉献できるのは、三河地方で生産された絹糸だけです。親父は、約千三百年続く伝統を守ることを自分の使命と感じていたのだと思います。
栄養価の高いクワを育て、たくさん食べてもらって大きな繭を作ってもらう。そのために、畑仕事や給桑、カイコの床替えといった仕事を、子どもの頃から手伝っていました。別棟の蚕室が建つ前は、自宅でカイコと共に生活していました。夜になると、カイコがいっせいにクワを食むザーザーという音が響く。「夕立みたいだ」と親父はよく言っていましたね。
わたしが中学に上がる頃には兼業農家が増え、効率化のためにトラクターを購入する世帯もめだちました。一方、わが家は養蚕と稲作、ミカン栽培という専業農家で、そんな余裕はない。耕うん機をゴトゴト動かす親父の姿を見て、「働けど働けど、楽にならないな」と思っていましたよ。
高校に進学すると、サラリーマン家庭の豊かさを毎日のように感じていました。ウインナが入っていたりして、カラフルで見栄えがする弁当を持ってくる同級生がいる。ところが、うちのはナスをしょうゆで煮たようなおかずと梅干しがのったもので、いつも真っ黒(笑)。それが嫌でね、一度だけボイコットしたことがあります。おふくろはどれほど悲しかったことかと、あとになって思いました。いちばんいい弁当だったはずなんです。新鮮で、安全で、おいしい。いまはおふくろにとても感謝しています。おかげで好き嫌いもまったくないし、体もいたって健康です。
―大学の農学部を卒業後、昭和五十八年に新城市農協(当時)に入組しました。新人時代はどんな仕事をしていましたか。
金融課に配属され、口座からの集中振替業務を担当していました。その後『日本農業新聞』の特別通信員を七年務めました。これはすごく思い出になっていますね。管内の取材現場に出かけていき、組合員農家や現場の人の話を聞いて、写真を撮る。わたしは職場に暗室を作って、自分でフィルムの現像までやっていました。人の表情や感情、背景、季節感など、一枚の写真でどれだけのことを語れるか。そんなことを考えながら印画紙に焼き込んでいく作業は楽しく、やりがいも感じていました。
ありがたいなと思うのは、取材した方たちがわたしの記事をずっと覚えていてくれることです。とくにお子さんを撮らせてもらった農家とは、いまでも約四十年前の思い出話に花が咲くんですよ。こうしたご縁の積み重ねが、協同の力になる。わたしはその力に支えられ、いまがあるのだと思っています。
高齢化という時代の最先端を走る
―管内は棚田が広がり、清流もある美しい山里ですね。
管内の大部分は中山間地域です。高齢化率は四〇パーセントを超えています。高齢化や人口減少はたいへん大きな問題ですが、それは日本の未来形であるともいえます。だから自分たちはいま、高齢化の最先端を走っている。そう考えて、いろいろなことに果敢にチャレンジすることがたいせつだと思っています。
わたしはもともと、新しいことを一から始めるのが好きなんです。金融課長だった平成二十年には、移動金融店舗車の運行を始めました。電源の確保やセキュリティー体制など、いくつものハードルを越え実現しました。
二十九年には、店舗の閉鎖によって買い物が不便になる組合員のために移動購買車の新設に携わりました。愛称は「J笑門」。戦国時代、織田・徳川連合軍の鉄砲隊が、当時最強といわれた武田軍の騎馬隊をこの地で打ち破った「長篠・設楽原の戦い」の功労者・鳥居強右衛門と、欲しいものをなんでも出してくれる『ドラえもん』、そして「笑う門には福来る」をかけ合わせて名づけました。
じつは縁あって、ある六十代の女性にアルバイトとして「J笑門」で働いてもらっているのですが、とにかくコミュニケーションがうまい。移動購買車でたいせつなのは、利用者、地域のみなさんとの関係づくりだったんです。
いま、「J笑門」は、食べ物も、喜びも、情報も、なんでも一生懸命運んでいます。長らくお世話になっている組合員、利用者のみなさんに少しでも多くの笑顔をもたらし、「農協があってよかった」と思ってもらえたらいいですね。
―JA愛知東女性部の地域活動も活発だそうですね。
とてもパワフルです。代表的な活動は助けあい組織「つくしんぼうの会」「ドレミの会」です。高齢者向けに宅食サービスや家事支援、地域のサロン、見守りなどをやっています。あうんの呼吸で連携をとりながら、和気あいあいと活動しています。
もうひとつは「やなマルシェ」です。七年前に新城市八名地区のAコープが閉店したとき、「ここで朝市をやりたい」という数人の女性部員からの提案で始まりました。協力者が増え、いまではフリーマーケットやキッズスペース、カフェなどもあって、地域住民が気軽に集える場所になっています。自分たちの地域を、自分たちでなんとかしなければという自主性をしっかり持ち、活動してきた結果なのだと思います。
―今年三月に新装開店したJAの産直施設「グリーンファームしんしろ」の店内には、「対等互恵」という言葉が掲げられていますが、どんな思いを込めたのですか。
先日、食料・農業・農村基本法が改正され、農産物の適正価格形成に向けた仕組みの構築という方向性が示されました。けれどそれは、生産者と消費者がおたがいを理解・尊重することでしか進まないでしょう。生産者は安心・安全・新鮮なものを提供する。消費者は、それを買うことによって生産者を支える。そこには無理のない対等な関係が存在しなければなりません。
JAの役割は、農業を通じて組合員の生活と地域を支えることです。食料問題は、今後ますます重要度が増していくでしょう。いちばん強いのは、自分たちで生産した食料が身近にあることなのです。生産者と消費者が顔の見える関係を築き、幸を恵み合える場を作っていきたいと思います。
文=成見智子 写真=津田雅人(家の光写真部) 写真提供=JA愛知東
詳細情報
うみの・ふみたか/昭和三十五年生まれ、新城市出身。名城大学農学部を卒業後、五十八年に新城市農協に入組。平成五年JA愛知東に合併後、総合企画部長などを歴任。二十三年同JA常務理事(経済担当)、三十一年代表理事組合長に就任し、現在に至る。
JA愛知東
平成五年に3JAが合併して誕生。十四年に1JAと合併。愛知県北東部に位置し、長野県、静岡県に接している。管内の八割以上を山林が占める豊かな自然と、昼夜の寒暖差を生かし、米、トマト、イチゴ、ナスなどの生産が盛ん。黒毛和牛の高級ブランド「鳳来牛」の産地としても有名。