つなぐ人びと

引退、その日まで山道を走り続ける

  • 愛知県 新城市(JA愛知東管内)
  • 2025年1月

山下渥子さん

引退、その日まで山道を走り続ける

山あいに暮らす人たちに生活必需品を届けています。買い物をする楽しみももたらしているようです。
移動購買車で駆け巡る〝あっちゃん〟に出会いました。

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「先週に欲しいって言うとった総菜や魚を積んできとるで。これで合っとるかな?」
 そう、顔なじみの客へ声をかけるのは、愛知県は奥三河の山あいを走る移動購買車「J笑門(じぇいえもん)」のアルバイトスタッフ〝あっちゃん〟こと、山下渥子さん(67)です。
 車内の商品ケースから作りたてのコロッケや弁当を取り出し、備え付けの冷蔵庫を開けて刺身を手に取り、客へと手渡します。
「あっちゃん、ありがとう。いつも助かっとる」との言葉に答えていると、隣からは「このまえのパンおいしかったけど、ある?」、後ろからも「今日は、なにがお勧めなん?」との声がかかります。
 その光景は、昔の商店さながら。客が買い物を終えると、千種類もの商品を詰め込んだ荷台を手早くたたんで、次の停車場へと急いで向かいます。
「お客さんは予定時間よりも早めに来て、おしゃべりして待っとる。週一回の移動購買車は、買い物をするだけじゃなくて、地域のコミュニケーションの場になっとるんよ」

 愛知県新城市を、JA愛知東の移動購買車が走り始めたのは、平成二十七年のこと。管内のAコープ閉鎖で、買い物が不便になる組合員のためにと創設した事業は、高齢化率四割を超える中山間地域の住民を支える〝買い物インフラ〟になっています。
 女性部の知人に勧められて、移動購買車の立ち上げの頃から、仕事に携わっている渥子さん。必要なものを届けるという役目はもちろん、買い物をする楽しさを届けたいと、品ぞろえにもこだわってきました。取扱品目は任されているため、出発前は二時間かけてAコープしんしろ店で入念に商品を選びます。

「コンビニですら、車で十分以上かかる集落ばかり。買い物ごとに家族に車を出してもらうのは気が引けるだろうし、必要なものを買ってきてもらうだけだとつまらないでしょう。小さな移動購買車だけど、自分で選んで買う〝だいご味〟を味わってもらいたいの」
 巡回するコースに暮らす一人一人の顔を思い浮かべながら、季節感や旬を味わえる菓子や果物、目新しい総菜などを取りそろえます。中山間地域ならではの売れ筋とは?
「お仏壇をだいじにする家や人が多い。だから、お供えの菓子はよく売れるね。お彼岸は、おはぎをたくさん積むの。長くやってきてわかったことやね」

 最初の頃は、すべて手探りで失敗もありました。人気商品が途中で売り切れたこと、代金をまちがえて翌週に返金したことも。「そんなときは謝るしかないね。お客さんも『いいよ、仕方ないね』って優しくて。同じ失敗はせん! と思った」と振り返ります。
 雪の日には「こんなときこそ困るだろう」と、無理をして山頂近くの停車場へ出向き、帰路のさい運転で冷や汗をかいたこともありました。「たいへんなことはあったけど、嫌なことはなかった」と渥子さんは笑います。
「さすがに今は、大きな失敗はせんよ。行くたびに『いつもありがとう』って、感謝の言葉や温かい気持ちをお客さんからもらえるの。それが仕事のやりがいになっている」

この仕事を若い世代に託せた安心感がある

 移動購買車は、がんを患う夫の修一さん(74)を支える糧にもなっていると、渥子さん。
「夫婦で運営していた製材所を閉めて、看病だけしとったら気持ちがまいってしまって。地域のために始めた仕事だけど、出会う人たちに救われて、生きる力をもらいました」
 闘病生活は続いていますが体調は安定。調子がいい日は、夫婦でふたたび家業である製材所の仕事をこなすようになってきたそうです。
 一台で始まった移動購買車ですが、コースの増設もあり、今は二台が地域を巡回。専任スタッフは四人になりました。
「若手世代ががんばってくれているの。高齢者とのコミュニケーションも上手で、お客さんからも信頼されている」
 先輩の言葉に、後輩の杉野貴砂さん(29)と安藤祐美さん(44)は「どんなことでも相談に乗ってくれる。あっちゃんがいるから安心して仕事に取り組めた。『J笑門』チームのお母さんのような存在です」と口をそろえます。

 最近では、若い世代に移動購買車を任せて、自らは商品追加の補助車に乗ってアシストに回っています。
「そろそろ引退もみえてきたでね(笑)。この仕事を若い世代に託せたことへの安心感がある。山あいの暮らしには欠かせないものだからねぇ」
 長く握ってきたハンドルを若い世代へとつなぎ、引退の日まで〝あっちゃん〟は山道を走り続けます。

文=森 ゆきこ 写真=前田博史

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